About Amami 奄美のこと

Culture 文化

奄美群島の文化は、日本文化を基層としながら、琉球国統治時代に琉球文化の影響を受け、さらに長く続いた薩摩藩統治時代に鹿児島文化の影響を強く受けながら育まれてきた独特のものです。

Clothing

亜熱帯の自然環境に適応して、芭蕉布や大島紬等の染織文化が発達してきました。

特に大島紬は、奄美大島の基幹産業として国内外に知られています。

大島紬の起源は定かではないが、養蚕の適地である奄美大島では、古くから絹織物が作られていたようです。

江戸時代初期は、自家用として島民が着用していましたが、1720年(享保5年)頃、薩摩藩より『紬着用禁止令』が出され、大島紬は薩摩藩への貢物として作られるようになりました。

この頃は江戸の街でも粋な人が着る高級外出着として流行したようです。

織物の特徴としては絹100%で織る前に糸を染める先染めという工程を行い、手織りするというもの。

糸を染めるため染料はシャリンバイの木の煎汁液と鉄分を含む泥です。

明治中期以降には自由な売買が盛んになり、市場で人気を博しました。

昭和に入ってからは終戦後、再復興し昭和50年代頃まで基幹産業として発展しました。

母親が紬を織って子どもを大学に通わせることができるほどの収入を得る時代がありました。

現在は反物の生産は落ち込んでいますが、培われた技術は細々と受け継がれ財布やポーチまたはコートなど様々な用途のものを生み出しています。

大島紬村では複雑なすべての工程を見ることができます。

Food

古い時代にはリュウキュウイノシシや海亀、魚介類を食料として暮らしてきました。

15世紀頃に中国・沖縄から豚やヤギを食べる習慣が伝わりました。

奄美大島の料理は豚料理が多いのが特徴です。正月に屠殺した豚は1年をかけて丁寧に食べられました。

薩摩藩統治時代には、鹿児島の料理の影響も強く受けており、代表的郷土料理として知られる「鶏飯」は、諸説ありますが薩摩役人をもてなす料理ともいわれています。

島の暮らしにはナリ(蘇鉄)味噌やミキ(サツマイモと米を発酵させた飲料)など独特の食べ物も欠かせません。

また近代になってからは黒糖を使用したお菓子類や奄美群島でしか作ることを許可されていない黒糖焼酎、パッションフルーツやマンゴー、たんかんなどのトロピカルフルーツも魅力の一つです。

奄美市立博物館敷地内の古民家

Shelter

奄美大島・徳之島・加計呂麻島等を覆う森林は、古い時代から船や住宅の材料として利用されてきました。

今日、自然保護の観点等から難しい局面を迎えていますが、林業も、戦後まで隆盛をきわめていた伝統的産業です。

隆起サンゴ礁で森林がない喜界島・沖永良部島・与論島に対して、亜熱帯多雨林の照葉樹林で覆われている奄美大島・徳之島は、琉球国統治時代から造船業が重要な位置を占めていて、建築業も独自の発達を遂げてきました。

特に、幕末以降、楔を使用して釘を使わず組み立てる現代のプレハブ住宅に通じる民家建築技術が確立(ヒキモン構造と呼ばれています)、奄美群島全域に普及しました。

奄美市には、国指定重要文化財の「泉家住宅」、国指定登録有形文化財の「薗家住宅」「旧安田家住宅」があります。

奄美市立奄美博物館の敷地内にも、古民家と高倉が移築されています。

島北部笠利町・佐仁(さに)集落の八月踊り

芸能 Performing arts

「八月踊り」と呼ばれる伝統的踊りが、各集落で行われているほか、「シマウタ」と呼ばれる独特の唄があり、若い世代にも人気があります。奄美群島の伝統的音楽文化は、与論島・沖永良部島が「琉球音階」が用いられるのに対して、徳之島・与路島・請島・加計呂麻島・奄美大島・喜界島が本土民謡等と同一の「律音階」が用いられています。

また、昭和初期から復帰前後まで盛んに作られた「奄美新民謡」は島の歌謡曲として群島内で親しまれていましたが、復帰後、日本全土でも流行し、昭和38年のNHK紅白歌合戦では奄美を題材とした曲が4曲も歌われることになりました。

「田端義夫/島育ち」「朝丘雪路/永良部百合の花」「三沢あけみ/島のブルース」「仲宗根美樹/奄美恋しや」

龍郷町には歌を聞くことができる「島のブルース」歌碑があります。

当連盟制作の各地域とシマウタの歌詞をシンクロさせた5連ポスター

下記ポスターを5枚セットで販売しています。ご希望の方はお問い合わせフォームよりお尋ねください。
B1サイズ ¥4,500 B2サイズ ¥2,500

参考サイト: 電子ミュージアム奄美:奄美の文化